伊豆沼農産について
創業者・伊藤秀雄と伊豆沼農産の物語
◆ 「伊豆沼農産」ができるまで ◆
ラムサール条約登録湿地である「伊豆沼」。
伊藤は、この伊豆沼のほとり・登米郡迫町(現:登米市迫町)の、
「新田(にった)」地区にある1農家の長男として、生まれました。
【 若かりし頃の伊藤 19歳】1976年
大学入学を目指し予備校通いを始めた2か月後、不慮の事故で父親が急逝。
やむなく受験を諦め、父親より受け継いだ田んぼと豚舎で、
何も分からないまま農業を始めました。
初めは、当時流行っていたアメリカ型の大規模農業を目指そうとした伊藤。
しかし、ただ肥育効率だけを上げ、ローコスト化した農家が先進だとする
時代の流れに、大きな疑問を持ちます。
更に、自分が育てた豚をどこの誰が食べているか分からない流通のあり方も疑問でした。
「一体、誰のためのものづくりなんだろう?」
そこで伊藤は大きく方針を変え、適正な規模の養豚に、
食肉加工と販売で付加価値を高めることを目指します。
これは、今となっては全国どこでも行われていますが、
当時としては時代の流れに逆らうようなもの。
結婚し、まだ幼い子供2人を抱える中、
家族(特に女性陣:祖母・母・妻)の大反対に遭いながらも、
祖父の後押しもあり、信念を固めます。
こうして、「農産物」は人の口に入る「食べもの」であるという意味をこめた
「農業を食業に変える」をコンセプトに、農業生産法人である「伊豆沼農産」が誕生しました。
◆ 創業~黎明期(1987~1990) ◆
まず始めようとしたのは、ハム・ソーセージの加工と、それを提供するレストラン。
そこで助けてくれたのは、地域の仲間たちでした。
みんなで協力して沼のほとりにログハウスのお店を建て、
メニューや商品の味なども仲間たちのアドバイスをもらいながら営業をスタート。
【 仲間たちとログハウス作り(左から2番目が伊藤) 】1987年頃
【 初代くんぺる開店イベント 】1988年
ハム・ソーセージを作り、レストランの厨房やホールに立ち、
そのかたわらで豚の世話や田んぼの管理などの農作業をするという、
寝る間も無いほど働き詰めの日々が続きました。
創業し法人化した後しばらくは、経営は常に「がけっぷち」。
しかし、レストランを開いたことで人との交流が生まれ、
農業や食品関係に留まらず、異業種・異分野の人脈を広げることができました。
そこから様々なことを学び吸収させていただくことで、
少しずつ売上を伸ばしていき、経営を軌道に乗せることに成功しました。
特に転機になったのは、1990年の、仙台三越への出店。
伊藤の熱い思いが営業担当の方へ伝わり、
地下のフードマーケットに「伊豆沼ハム」のお店がオープンします。
この出店が功を奏し、飲食店や土産物店からの
オーダーメイド生産の注文が相次ぎ、売り上げが拡大。
「伊豆沼ハム」の知名度も少しずつ上がっていきました。
【 当時の商品パッケージ 】1990年代
◆ 新社屋の建設(2000) ◆
会社としては安定したものの、伊藤には大きな不満がありました。
「『農村から都市へ モノ(食べ物)を運ぶ』という社会構造は、
創業の頃から変わっていない。」
都市から農村へも人が訪れ、そこで商品やサービスを提供する。
そこに都市農村交流が生まれ、地域に住む人々の意識が変わっていく。
そこには、伊藤の「農村の新しい価値の創造」に対する強い意志がありました。
「農村」で生産された「もの」に本当の感動を添えて提供するためには、
「農村」に来ていただかないとできないことに気が付いたのです。
この事態を打開すべく、伊藤は新社屋(2代目くんぺる)建設を決意。
工場の他に、レストラン、直売所、そして交流休憩施設を併設させた、
複合・滞留型の施設を作りました。
【 2代目店舗。右手前が直売所、左奥がレストラン 】
直売所を作るにあたり、地元農家さんを中心に「伊豆沼農産直売会」を立ち上げ、
会員さんの野菜・果物・花はもちろん、
加工品や工芸品など地元産品も販売できるように。
これが、地元・新田地区だけでなく近隣地区も含めた、
新たなネットワークを構築することにも繋がりました。
【 「伊豆沼農産直売会」の皆さん 】2005年頃
◆ 「伊達の純粋赤豚」デビュー(2002~2003) ◆
新社屋建設に引き続き進めたのが、新ブランドの構築。
宮城県畜産試験場が開発した系統豚「しもふりレッド」。
それを純粋交配させた豚を「伊達の純粋赤豚」として売り出すことに。
【 「伊達の純粋赤豚」 】
「伊達の純粋赤豚」は、柔らかい上に肉汁が多く、非常に味がよい一方で、
通常の豚と比べて産子数も少なく、また純粋種であるが故に病気にも弱いため、
飼育に手間とコストがかかります。
普通に考えれば、誰もやりたがらない仕事かもしれません。
それでもありがたいことに、地元の8名の畜産農家さんたちは、
この豚の可能性を信じ、協力してくれることに。
赤豚を飼育する農家で「伊達の赤豚会」を発足し、
飼料や育成方法などを統一。
こうして、お客様へ安心で美味しい豚肉を届けることが可能になったのです。
【 「伊達の赤豚会」の皆さん 】2003年頃
◆ 香港への輸出開始(2004) ◆
三越日本橋本店の全国版ギフトカタログへの掲載、
フードガーデンでの「伊達の赤豚や」のオープン、
鹿児島での「黒豚vs赤豚」対決によるメディア露出などを経て、
「伊達の純粋赤豚」の知名度や評価は日本中で高まっていきました。
そして次に目指したのは、海外進出。
進出先は当時、世界有数の食料集積地であった香港。
そこで「伊達の純粋赤豚」が高く評価されたなら、
地元の畜産農家にとって大きな自信になる。
そんな期待と希望を胸に手続きを始めます。
その頃は、まだ行政などによる農産物の輸出促進の環境が整っておらず、
手続きはまさに手探り。たくさんの苦労がありました。
そんな困難を乗り越え、やっとの思いで香港デビューを果たした
「伊達の純粋赤豚」。
ありがたいことに、香港の富裕層の方々をはじめ、
現地の日本人などにも高い評価を得るようになっていきました。
【 香港のデパートの売り場にて 】2007年頃
◆ 食農体験スタート・「プロジェクトI」構想の立ち上げ (2002~2006) ◆
「売りに行く」から「買いに来ていただく」という流通スタイルを作る。
そのためには、商品のブランド力だけでなく、
会社や会社がある地域自体のブランド力を高める必要がありました。
そこで伊藤は、地元の「新田 (にった)」地区、
「伊豆沼」エリアといった地域ブランドを構築し、
地域の環境に配慮した産業の発展を目指す「プロジェクトI」構想を立ち上げ、
地域滞留型のサービスやイベントを展開していくようになります。
それに先立ち、単なる「食べる」「買う」だけにとどまらない、
ここに来ないと経験できない「食」や「農」を提供するべく、
体験メニューを始めます。
まずは、現在でも一番人気の「手づくりウィンナー教室」からスタート。
その他にも、単発イベントをからめながら様々なメニューにトライしてきました。
【 手づくりウィンナー教室 】
その後、ブルーベリーの栽培にも着手し、ブルーベリーを使った商品開発や、
摘み取り農園もオープンさせます。
【 ブルーベリー農園 】
経営理念は、「人」「もの」「環境」などのキーワードを取り入れた新しいものへと進化。
さらに、NPO法人「新田あるものさがしの会」を設立するなど、
地域資源の発掘や、それを活かした「農村産業」を実現させる活動を、
地域の人々の協力の元に本格化させていきました。
◆ 東日本大震災(2011) ◆
たくさんの命が失われ、たくさんの心が傷ついたあの日。
「人と人とのつながりの大切さ」を知りました。
幸いにも伊豆沼農産の社屋は全壊することはなく、
内陸なので津波の被害もありませんでした。
が、壁や地面は大きく割れ、備品や設備も大きく破損。
建物の中も外も、全てがぐちゃぐちゃ。
電気・水道のライフラインは絶たれたまま長期間戻らず、
何日経っても、大きな余震が繰り返し繰り返し襲ってきます。
市内の多くの小売店が店を閉める中、
「ここで店を閉めたら地域の人が困る」という伊藤の考えで、
伊豆沼農産の直売所は営業を続けました。
これからどうなるのだろう?そんな大きな不安を抱えた毎日を過ごす中、
地域の人たちや仲間たちだけでなく、日本中・世界中の多くの方々が、
私たちに手を差し伸べ、応援してくれたことは、どれだけ感謝してもしきれません。
その時のお礼として、これからの私たちにできること。
それは食と農を通して、都市と農村の「つながり」を強くすること。
「命の大切さ」「命を支える食」「食を支える農」を、
この場所でしっかりとつないでいこう。
そう誓いを立てました。
◆ 店舗リニューアル・ラムサール広場建設(2014~2015) ◆
大きな災害を通じ、人と人との交流の大切さが見直される中、
伊藤は、かねてからの思いである都市農村交流をさらに発展させるため、
様々なご支援のもと、直売所とレストランをリニューアル。
面積が広がり利便性も高まり、より多くのお客様に楽しんでいただけるようになりました。
【 3代目店舗(現在) 】
また、店舗から歩いて5分の場所には、新たに「ラムサール広場」を開設。
生ハム工房と体験ファームのプロジェクトがスタートしました。
ラムサール広場にある「都市農村交流館」では、交流イベントや子どもたちの体験学習、
そしてインバウンド需要の高まりを受け、外国人の方々向けのツアーなどを次々に開催。
【 都市農村交流館 】
【 農作業体験「はたけっこくらぶ」 】
【 インバウンドツアーの郷土芸能体験 】
今は、まだ道半ばである上に新型コロナウイルスの感染拡大もあり、
思うように動けないことや、残念ながら中断したプロジェクトもあります。
ですが、ありがたいことに、こうした様々な活動に協力してくれる方がポツポツと現れ、
毎年少しずつ進んでいるのを感じています。
◆ これまでとこれから ◆
伊豆沼農産のものづくりは、地元の仲間たちと作った小さな工房から始まりました。
仲間の力がなければ、今の私たちはありません。
私たちの施設の屋号であり、定期発行している通信誌の名前にもしている
「くんぺる」という言葉には、ドイツ語で「仲間」という意味があります。
生産者も消費者も、かかわる人たちすべてが仲間になってほしい、という願いをこめています。
「農業を食業に変える」を基本コンセプトに、「人と自然へのやさしさをもとめて…」という
理念を加え、仲間を集め続けたこの年月。
農村の「場」と、農村で生産している「もの」、
そして農村で暮らす人たちの「こころ」を組み合わせ、
物語性豊かな農村産業を、地域と共に創っていきます。
明るい未来への道のりを、ぜひこれからもご一緒ください。
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